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「高知がえり」

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 「やっと出帆したのが十二時半頃。甲板はどうも風が寒い。艫の処を見ると定さんが旗竿へもたれて浜の方を見ながら口笛を吹いているからそこへいって話しかける。第二中学の模様など聞いているうち船員が出帆旗を下ろしに来た。杣《そま》らしき男が艫へ大きな鋸や何かを置いたので窮屈だ。山々の草枯れの色は実に美しいと東の山ばかり見ているうちはや神島まで来て、久礼はと見たけれども何処とも見当がつかぬ。釣船が追々に沖から帆を上げて帰って来る。甲板を下駄で蹴りながら、昨日稽古した「エコー」と云うのを歌う。室へ入ろうとするといつの間にか商人体の男二人その連れらしき娘一人室へいっぱいになって『風俗画報』か何か見ているので、また甲板をあちこち。機関長室からハイカラ先生の鼠色のズボンが片足出て、鏡に女の顔が映って見える。」

(富士浜から見た須崎港の東の山。
岬の向こうに見える戸島のまだ沖に神島がある。)



(浦戸の燈台は桂浜荘の右下にある燈台のことだろう。
竜王はその下の離れた岩山である。)

 「ボーイにマッチを貰って煙草を吸う。吸殻を落すと船腹に引付いて落ちてすぐ見えなくなる。浦戸の燈台が小さく見える。西を見ると神島が夕日を背にして真黒に浮上がって見える。横波の入日をこして北を見ると遠い山の頂に白いものが見える。ボーイが御茶を上げましょと云うて来たから室へはいると、前の商人はあわてて席を譲って「ドーゾコチラヘ」と言う。茶をのんで粗末なビスケットを二つ三つかじる。娘は毛布をかけてねたまま手を出してビスケットを取って食っている。スグまた室を出る。鴨が沢山ついていて、釣船もボツボツ見える。だいぶ浦戸に近よった。煙突の下で立ちながらめしを食っている男がある。例のボーイが cabin からいかがわしい写真を出して来て見せびらかしながら会食室へはいったと思うと、盛んに笑う声が洩れて来た。浪がないから竜王の下の岩に躍る白浪の壮観も見えぬ。」
 「釣船はそろそろ帆を張って帰り支度をしている。沖の礁を廻る時から右舷へ出て種崎の浜を見る。夏とはちがって人影も見えぬ和楽園の前に釣を垂れている中折帽の男がある。雑喉場の前に日本式の小さい帆前が一艘ついて、汀には四、五人ほど貝でも拾っている様子。」

(種崎は遠浅の海水浴場です。)


(種崎のどんづまりに大楠の立つ貴船神社がある。)
 「伝馬に乗って櫂を動かしている女の腕に西日がさして白く見える。どうやら夏のようにも思われる。貴船社の前を通った時は胸が痛かった。」
 「玉島のあたりははらかた釣りが夥しいが、女子供が大半を占めている。」

(浦戸湾の真ん中に名の通り丸い玉島が浮かんでいる。)


(現在の種崎の渡し船が夕日に向かって出航した。)
 「種崎の渡しの方には、茶船の旗が二つ見えて、池川の雨戸は空しく締められてこれも悲しい。孕の山には紅葉が見えて美しい。碇を下ろして皆端艇へ移る。例のハイカラは浜行の茶船へのる。自分は蚕種検査の先生方の借り切り船へ御厄介になった。」
 「須崎のある人から稲荷新地の醜業婦へ手紙を託されたとか云って、それを出して見せびらかしている。得月楼《とくげつろう》の前へ船をつけ自転車を引上げる若者がある。楼上と門前とに女が立ってうなずいている。犬引も通る。これらが煩悩の犬だろう。松が端から車を雇う。下町は昨日の祭礼の名残で賑やかな追手筋を小さい花台をかいた子供連がねって行く。西洋の婦人が向うから来てこれとすれちがった。」

 (今の若松町の土佐稲荷社があるあたりから東方が新地で、得月楼もその間にあった。)

(現在の高坂橋から寅彦邸方向を見る。
大きいビルの左の工事中の建物左が寅彦邸。)

 「牧牛会社の前までくると日が入りかかって、川端の榎の霜枯れの色が実に美しい。高阪橋を越す時東を見ると、女学生が大勢立っていると思ったが、それは海老茶色の葦を干してあるのであった。(明治三十四年十一月)」

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