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「東上記」

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玄関を出れば人々も砂利《じゃり》を鳴らしてついて来る。用意の車五輌口々に何やら云えどよくは耳に入らず。から/\と引き出せば後にまた御機嫌ようの声々あまり悪からぬものなり。見返る門柳監獄の壁にかくれて流れる水に漣※[#「さんずい+猗」、第3水準1-87-6]《れんい》動く。韋駄天《いだてん》を叱する勢いよく松《まつ》が端《はな》に馳《か》け付くれば旅立つ人見送る人|人足《にんそく》船頭ののゝしる声々。車の音。端艇|涯《きし》をはなるれば水棹《みさお》のしずく屋根板にはら/\と音する。舷《ふなべり》のすれあう音ようやく止んで船は中流に出でたり。水害の名残《なごり》棒堤《ぼうづつみ》にしるく砂利に埋るゝ蘆《あし》もあわれなり。左側の水楼に坐して此方《こっち》を見る老人のあればきっと中風《ちゅうぶう》よとはよき見立てと竹村はやせば皆々笑う。新地《しんち》の絃歌《げんか》聞えぬが嬉《うれ》しくて丸山台まで行けば小蒸汽《こじょうき》一|艘《そう》後より追越して行きぬ。
(五台山から丸山台、棒堤(中之島)、新地あたりが見える)

(五台山から浦戸湾。右方が桟橋))
欄下の溜池に海蟹《うみがに》の鋏《はさみ》動かす様がおかしくて見ておれば人を呼ぶ汽笛の声に何となく心|急《せ》き立ちて端艇出させ、道中はことさら気を付けてと父上一句、さらば御無事でと子供等の声々、後に聞いて梯子駆け上れば艫《とも》に水白く泡立ってあたりの景色廻り舞台のようにくる/\と廻ってハンケチ帽子をふる見送りの人々。これに応ずる乗客の数々。いつの間にか船首をめぐらせる端艇小さくなりて人の顔も分き難くなれば甲板《かんぱん》に長居は船暈《ふなよい》の元と窮屈なる船室に這《は》い込み用意の葡萄酒一杯に喉を沾《うるお》して革鞄《かばん》枕に横になれば甲板にまたもや汽笛の音。

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